大城部落の発祥
百姓の代(世)
天孫氏6代目(約600年)頃、玉城村字仲村渠ミントンより米作の普及のため、当大城部落
へ生住の民として定着したと伝えられている。
按司の代(世)
商巴志時代以前は、玉城按司の長男である神住が大城按司として当部落への君臨大城ぐすくを築城
大城村外近隣の村々を統治したと思われる.佐敷小按司と言われてる尚巴志が大城ぐすくの娘婿とっして
姻戚関係を結び勢力を伸ばしたと言われている。
大城部落の返還
明治31年の大字制施行により、5年後の明治41年玉城間切より大里間切に組み込まれ、更に小字の稲福、
眞境名を吸収し、大字大城と称する様になった。
昭和31年に大城ダムが完成し、南部でも有数な水田地帯であった。
以上の様に、文化的遺産を受け継ぐ由緒ある部落である。