うふぐしくの歴史


大城には、村建てとされる家が3軒とされている、

上江洲(イージ)

仲村渠(ナカンダカリ)

上 里(イーザト)

 

仲村渠と上江洲とは兄弟の関係にあたり、700年程前に現玉城の仲村渠のミントン城から大城に来て大城部落を創設した。

その時代をサチガユー(先の世)と言う。

その後100年程後に玉城中山から按司が大城部落の上江洲、仲村渠を征伐し大城城を造営し大城を支配した。

この時代をナカヌユー(中の世)と言う

大城按司の子孫が大城門中であり、その宗家がヌルムトゥである嶺井(ンミ)とアジムトゥである島仲(シマナカ)である。

 

祭祀を司るカミンチュもこれらの旧家から出る。

ヌルムトゥであった上江洲から、ヌルが嶺井に嫁いで以来嶺井がヌール職を継承しているが、後継者が居ないj状況である。

 


大城区の歴史散歩

終戦直後の大城区

「昭和25年頃撮影」

 

ぐすくの麓に民家が立ち並び、前方には水田が広がる

田園地帯でした。